木佐彩子は、元フジテレビアナウンサーであり、夫は東北楽天ゴールデンイーグルスゼネラルマネージャーの石井一久さんです。
木佐彩子さんの父親は商社に勤めていたようです。
実家についても明確には、裕福な家庭だったと言われています。
木佐彩子の母親については、病気で亡くなったとのことです。また、木佐彩子に兄弟がいます
皆さんが気になっている点について本記事ではお伝えします。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 木佐彩子 |
生年月日 | 1971年5月26日 |
血液型 | B型 |
最終学歴 | 青山学院大学文学部英米文学科 |
所属事務所 | エイジス |
職歴 | 元フジテレビアナウンサー |
配偶者 | 石井一久 |
木佐彩子アナの父親の職業や年齢?会社は商社!実家が豪邸!兄弟を紹介
木佐彩子さんはご家族ととても仲が良かったようで、時折インスタグラムに父親と母親が登場していました。
父親の介護の様子もアップされており、とても親密だったことが伺えます。
木佐彩子の兄弟は
木佐彩子は東京都出身ですが、生まれは鳥取県米子市(母親の地元)。
家族構成は父・母・兄・木佐彩子さんの4人家族です。
実家は豪邸
アメリカから帰国した後は東京に住まれていますが、実家はおそらく木佐彩子は実家が広尾ではないかといわれています。
広尾って聞いただけで芸能人が多数住む有名高級住宅街です。
詳しくは情報はこうかいされていないのですが、広尾に住んでいるというだけで、多くの人が豪邸を想像するのは理解できます。
渋谷区に位置し、静かで落ち着いた雰囲気、緑豊かな環境、そして便利な立地が特徴です。
広尾には、大使館や外資系企業の社宅が多く、国際的な雰囲気も感じられます。
また、教育機関や文化施設が充実しており、子どもの教育に力を注げる環境が整っていることも、この地域が選ばれる理由の一つです。
実家は豪邸のイメージは帰国子女もある
木佐彩子さんは小学2年~中学2年までの7年間、アメリカ・ロサンゼルスで過ごしたいわゆる帰国子女。
父親の転勤でアメリカに住むことになったのでアルファベットも分からないまま、いきなり現地の学校生活が始まったそうです。
木佐さんは、中学2年生までアメリカで過ごしました。
この時アメリカの女性ニュースキャスターの先駆け的存在であるコニー・チャンに憧れていたことや、長くアメリカで過ごしたことで英語が流暢なことが、その後の進路に大きく影響したと木佐さんは語っています。
資格は英語検定準1級所持だそうで、さすが!
また変わったところでは、アメリカにいた中学時代にガールスカウトの活動でベビーシッターの免許を取っているんです!現地でのベビーシッターのアルバイト経験があるんだそうです。
日本に帰国後は、青山学院大学文学部英米文学科に入学。
語学学校にも通い通訳のアルバイトもしていたそうで精力的ですよね。
アナウンサーになってからは、テレビ朝日系『CNNヘッドライン』や『ニュースステーション』にキャスターとして出演したのはご存じの通り。
才色兼備な木佐さんですが、苦手なこともありました!
帰国子女であるため漢字の読み書きが苦手で、高校生での帰国時に公文で小学4年生レベルからスタートしたのだそうです。
そんなに頑張って年下の子たちと一緒に学ぼうなんて努力家ですよね。
父は商社勤務
職業は商社勤務のサラリーマンだったようです。
転勤が多い仕事のせいであちこち移動していたそうです。
父親は一般の人ということもあり、名前や年齢は分かりません。
ただ、入院やリハビリなど体調面は優れていなかったらしく、木佐彩子さんのインスタグラムでも身体の衰えを感じさせるものでした。
父親の介護は夫の石井一久さんも一緒にされていたようで、SNSには腰をかがめて父親を支える石井さんの様子を見ることが出来ます。
お芋が大好きだった父親に石井さんが大量に買ってきたこともあったとか。
だんだん体力が落ちていく親の姿を見るのは結構辛いことですが、木佐さんは明るくフラットに対応されているなと感じました。
加齢によってだんだん耳も遠く、飲み込む力も衰えてきていた姿を木佐さんはごまかすことなく真っすぐ受け入れている印象を受けました。
父が亡くなったの死因?年齢は?
下記でもお伝えしますが、木佐彩子さんは2022年にお母様が亡くなってから1年後、2023年11月にお父様も亡くなったことを自身のインスタグラムで報告しています。お父様の死因は誤嚥性肺炎で亡くなったそうです
インスタでは下記のようにアップしています。
父親が亡くなった年齢は明らかにされていません。
木佐彩子の母死因は?
木佐彩子の母親は?
木佐彩子さんと母親は正反対の性格だそうで、母親はとても慎重な性格だったそうです。
母親との関係については、最近流行りの友人親子ではなく最期まで親と子の関係だったそう。
余命宣告には本人も驚きつつも病気をすっと受け入れ、凛とした姿をみせてくれたと木佐さんは語っています。
また、母親の闘病の期間、木佐さんは日記をつけていました。
「あまり親に褒められて育った記憶もないのに。その割には自己肯定感もどちらかというと高めで母も呆れてました。性格ですかねあはは」「そんな母との思い出ややり取りを忘れたくなくて短い闘病期間でしたが日記を書いてました。読み返すと既に忘れている事もあったり、はやっ!字が荒れている日もあったり…タイムマシーンに乗せてくれる私の宝物になりそうです」と闘病時期に日記を書いたノートの写真も掲載。引用元:報知新聞
木佐さんの20歳の息子さんはとてもお婆ちゃん子だったそうで、最後は病室で1人にしてもらいお別れをしたそうです。
木佐さんの母親がとても温かい人柄だったことが伺えますね。
母親の体調が崩れる前に、既に体に衰えがきていた父親(夫)の世話をしていたのも彼女だったので、急な別れに家族は驚き悲しんだようです。
「口数も少なくどちらからと言うとクールな父もまさか自分より先に母が旅立つとは思っていなかったので元気がないのですが 私が仕事のない日は我が家にお散歩がてら来てペロモコを撫で撫でしてお気に入りのお芋を食べると笑顔になります」
(出典元:スポーツ報知)
木佐彩子の母の死因や病気は?
木佐彩子さんの母親は、2021年秋に亡くなったことが明らかになっています
木佐彩子さんの母親は突然の余命宣告の後、2カ月闘病での旅立ちだったことを木佐さんは語っています。
青天の霹靂だったと木佐さん。
母親は最後まで弱った父親(夫)のことを心配していたそうです。
木佐彩子さんはSNSで母親との思い出を振り返り、闘病期間での日記を宝物としていることを語っています。
フリーアナウンサーの木佐彩子(50)が20日、インスタグラムを更新。昨年に亡くなった母との思い出を振り返り、「母も呆れてました…笑笑」とつづった。
引用元:木佐彩子アナ、亡き母との思い出つづる 闘病期間での日記が「私の宝物に」(日刊スポーツ)
両親の仲もとても深かったようで、「母が旅立つ前に”必ずパパを迎えに来るからそれまでよろしく”と言ってたんですが、有言実行だと感じる場面もある旅立ちだった」とSNSでお茶目な表情の写真と共に報告されました。
また、約8か月後の2022年6月に父親が誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなり、木佐彩子さんは「有言実行だった。無事に2人は再会出来たかなぁと」と両親の再会を願うコメントを出していました。
遺品整理の際に出てきた、両親の新婚旅行の若かりし写真を発見した!と色々と振り返り、気持ちにひと段落付いた様子を語っています。
これらを見ると、木佐さんはバラエティでいつも明るいイメージが強かったのですが、フラットな感覚をお持ちで辛い事も自分なりに受け入れられる人だなと思います。
何でもない日常に自分なりの楽しみだったり幸せを見いだせる人であり、両親も安心して旅立たれたことでしょう。
まとめ:木佐彩子アナの父親の職業や年齢?実家が豪邸?母死因?兄弟を紹介
いかがでしょうか。
木佐彩子の父親の仕事?会社は商社?実家?母病気死因?兄弟?年齢?昔や若い頃?についてお伝えしました。
フジテレビの看板アナウンサーだった若い頃ですが、今は楽天の石井一久のGM兼監督の妻として穏やかに暮らされているようです。
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