JUDY AND MARY (ジュディ・アンド・マリー、略称:ジュディマリ、JAM) は、日本のロックバンドです。
1992年結成。1993年にメジャーデビューしました。
ジュディマリについてです。当時から、ファン層は男女比はほぼ半々でした。
’90年代にリアルタイムで聴いていたファンは30代から50代になっています。
今でもカラオケで『Over Drive』や『そばかす』を歌っている人はおおいですよね。
だがジュディマリ突然解散をしてしまい、当時は大問題となりました。
ジュディマリとは、YUKI、TAKUYA、恩田快人、五十嵐公太の4人からなるロックバンドで、1993年にメジャーデビューし、2001年に解散しました。
項目 | 内容 |
---|---|
バンド名 | JUDY AND MARY |
略称 | ジュディマリ、JAM |
バンド名の由来 | 「元気で前向きな女の子・ジュディ」と「ひねくれ者・マリー」の二面性を表現している |
結成年 | 1992年 |
メジャーデビュー年 | 1993年 |
解散年 | 2001年 |
メンバー | YUKI(ボーカル、作詞)、 TAKUYA(ギター、作曲、作詞)、 恩田快人(ベース、作曲)、 五十嵐公太(ドラム、作曲) |
ジュディマリのなぜ解散理由6選?不仲・仲悪い調査
JUJUDY AND MARYの不仲・解散理由①;不仲だった?
インターネット上にも下記のようなコメントがあります。
JUDY AND MARYは不仲だったのに何故バンドを結成したのでしょうか?普通仲悪いならバンドなんて結成しないですよね?
引用元:YAHOO知恵袋
バンドが解散する場合には色々な憶測が飛びます。主に下記が原因といわれています。
「音楽への向き合い方などの違いが重なり、修復不可能になったということです。TAKUYAさんの発言力が次第に強くなり、リーダーの恩田さんの居場所がなくなって脱退を表明しました。TAKUYAさんとYUKIさんが男女の仲になったことも、不協和音を増幅させたんでしょう」
引用元:ジュディマリ解散理由(週刊女性PRIME)
JUDY AND MARYの不仲・解散理由②:恩田快人が解散を申し出た
“ジュディマリ”の愛称で親しまれた彼らは、バンドメンバーそれぞれの個性が強く、やがて90年代のロックシーンを語る上で欠かせない存在となっていきました。
難産となった『POP LIFE』制作時点で、アルバムを作り上げるプロセスに無理が生じていることをメンバーが認識するようになったそうです。
JUDY AND MARYがメジャーデビューを果たし、佐久間正英さんという凄腕プロデューサーの協力の下、バンドが急成長し、巨大化していく中で少しづつ状況が変わっていったんですよね。
TAKUYAさんは元々ギターの演奏スキルが高かったことは言うまでもありませんが、JUDY AND MARYの中でもまれていくうちに、作曲能力を発揮していき、やがて佐久間正英さんもその能力を認めていくようになったのです。
やがて、JUDY AND MARYの4thアルバム「THE POWER SOURCE」では、収録曲全10曲のうち、TAKUYAさん作曲の楽曲が6曲、恩田快人さん作曲の楽曲が4曲と、完全に逆転してしまうんですよね。
バンドの主導権も恩田快人さんからTAKUYAさんへと移っていき、その頃からTAKUYAさんの態度も大きくなっていったと言われています。
恩田快人さんの意向に対して、恩田快人さんの代わりを見つけることなどできないと考えたYUKIさんは、五十嵐公太さんと恩田快人さんの3人で、何度も話し合いを繰り返したと言います。
確執の当事者であるTAKUYAさんはと言うと…基本的に自分が作曲をしてYUKIさんが歌えば、それで「JAM」を維持できると。
たとえ3人になってもベースはサポートメンバーを入れれば、普通に続けていけると軽く考えていたそうです。
YUKIさんは、バンドはチームプレイなので、誰か1人でも欠けるともう続けてはいけないと考えていたと言います。
2000年に活動を再開したJUDY AND MARYでしたが、2001年2月にラストアルバム「WARP」をリリースしました。
恩田は自分の脱退後も残った3人、もしくは新しいベーシストを加えてJUDY AND MARYを続けてほしい意向を持っていた。
他メンバーは報告を受けた時点でバンド解散を考え、結果として解散を前提に『WARP』製作がなされることになり、全アルバムで唯一、恩田は作曲をしていない。
JUDY AND MARYの解散理由③:バンド内での交際をしていた
JUDY AND MARYのほぼ全ての楽曲の作詞は、YUKIさんが担当していますが、一部「Tack&Yukky」として、YUKIさんとTAKUYAさんの共作による楽曲も存在します。
そんな作詞を共作するほど仲が良かったYUKIさんとTAKUYAさんでしたが、かつて2人の熱愛が週刊誌にスクープされたことがあるんですよね。
YUKIさんとTAKUYAさんが交際していたのは、1994~1997年頃の時期で、ちょうどJUDY AND MARYが大ブレイクしようとしていた時期に交際がスタートしたと言われています。
一時は半同棲状態にあったとも言われています。
JUDY AND MARYの解散理由④:最高のアルバムが出来た
具体的にJUDY AND MARYのファンでもあり、何度かお仕事をしていたいのですが、公になっていない情報として最高のアルバムができあがったからとライブでお話をしていなようです。
これはファンのためなのか、実際に本当に最高のアルバムができたのかは不明ではありますが、ファンなら信用したいですよね。
わたしはデビュー当時からJUDY AND MARYのファンでもあり、何度かお仕事もしました。 具体的な理由は書けませんが(公になってないので)、しいて言うなら最高のアルバムが出来たから…とライブでも言っていました。
引用元:JUDY AND MARYの解散理由③最高のアルバムが出来た(YAHOO知恵袋)
JUDY AND MARYの解散理由⑤Yukiがソロでやりたかった
ソロでやりたかったと考えているひともいるようです。おそらくそれはないのではないのかなと思います。活動休止をしてソロで活動しているバンドは多くいます。
例えば、ルナシーやラルク、XJAPANなどもそうでしたよね。
これは私の憶測ではありますが。
JUDY AND MARYの解散理由⑥:薬物の不祥事
薬物でバンド名を変えたり、活動休止をするバンドがいたのは事実です。ただ、ジュディマリに関しては薬物はありませんでした。
もし、それが原因であればニュースで報道されており、大問題となっています。
ジュリマリは覚せい剤か何かで問題を起こしませんでしたか? それが原因で解散したんでしょうか…。
JUDY AND MARYの解散理由⑥:薬物
ジュディマリの解散するまでの活躍?judy and mary
まずジュディマリの結成から活躍までを紹介
ヘヴィメタルバンド「JACKS’N’JOKER」のメンバーとしてメジャーデビューしていた恩田が、映画『いつかギラギラする日』の撮影で北海道を訪れた際、エキストラとして参加していた当時短大生のYUKIと知り合います。
映画スタッフ達との飲み会の場で、YUKIが「バンドをやりたいけどどうすればいいのかわからない」と恩田に相談した事がきっかけで、その後YUKIにデモテープを送ってもらった恩田がそれを聴いたところ歌声を気に入りボーカルになりました。
“Judy And Mary”というバンド名は快活でポジティヴな女のコ“ジュディ”とすこしひねくれ者のネガティヴな女のコ“マリー”という女の子の二面性を表しています。
それがそのままYUKI自身に当てはまることもあって、以前から恩田が構想を練っていた『女のコが歌うポップで切ないサウンドをバンドでやる』というイメージでした。
ジュディマリのデビュー
同年12月にリリースしたアルバム「ORANGE SUNSHINE」からは、「BOØWY」や「GLAY」、「L’Arc~en~Ciel」などを手掛けた90年代を代表する伝説的音楽プロデューサー・佐久間正英さんを迎えたJUDY AND MARY。
11月、サポートメンバーだった五十嵐公太が正式に加入し、オーディションによりTAKUYAが加入してジュディマリが完成したのです。
1997年にリリースしたアルバム「THE POWER SOURCE」は300万枚に及ぶメガヒット記録し、翌1998年には初の東京ドーム公演を成功させ、その年の紅白歌合戦に2度目の出場を果たしました。
ジュディマリの解散
デビュー8年後の2001年に突然の解散を発表したJUDY AND MARY。2001年1月9日に全国紙朝刊の全面広告で解散を発表しました。
絶頂期を迎えていたJUDY AND MARYだったのですが、翌1999年は1年間の活動休止を発表します。
再結成が最も熱望されるバンドと言っても過言ではありませんが、再結成の噂が浮上しては消え、また浮上しては消え…を繰り返しているようです。
【ジュディマリの解散理由?】よくある質問
まとめ:ジュディマリの解散の理由はなぜ?不仲が原因だった?
いかがでしょうか。
今回の記事ではジュディマリの解散理由?不仲・仲悪い?なぜ解散?薬物不祥事?judy and mary ?知恵袋についてお伝えしました。
ジュディマリは4人とも曲が書けるんです。ジュディマリ時代の楽曲印税も毎月、振り込まれているはずですから、今お金に困っているメンバーはいませんよ。
再結成というと、解散してからボーカル以外の“食べていけない”メンバーが言いだすことがキッカケと思われがちですが、ジュディマリは違います
不仲説もあったけど、なんだかんだ結局は仲良しみたいだったけど、TAKUYAが自分の力を試してみたかったみたいです。
不仲説はありましたが、今でも連絡を取り合っているみたいですし、実力世界ですから当然っていえば当然ですね。
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